幼虫コネクトームを固定の再帰層に使う分類器と、次数を保存した対照の比較
実際の配線と、配線を組み替えた対照と、乱数の固定行列の間で、MNISTの精度は0.3ポイントも違わなかった
Yu らが2025年に報告した、ショウジョウバエ幼虫のコネクトームを固定の再帰層として使う分類器を再実装し、論文の約98%に対して97.2%まで再現した。その設定のまま、再帰層を、各ニューロンの入次数と出次数を保った組み替え、枝数だけを合わせた乱数、密な乱数の固定行列に置き換えたところ、MNISTの精度は0.9722から0.9765の間に収まった。差はいずれも乱数の種を変えたときのばらつきと同じ大きさだった。
| 方法 | 公開されている幼虫コネクトーム(2,952ニューロン、軸索から樹状突起への枝63,518本)を再帰層に置いた分類器を、論文の記述から再実装した。論文に書かれていない設定は走査で決め、論文の精度に最も近い設定を固定したうえで、再帰層だけを三種類の対照に置き換えて比べた。MNIST、10エポック、各条件3つの種。 |
|---|---|
| 結果 | 実際の配線0.9742、枝数だけ合わせた乱数0.9765、次数を保った組み替え0.9722(9本)、密な乱数行列0.9741。標準偏差は0.0007から0.0016。再帰を1段にすると0.1135まで落ちる。 |
| 知見 | 精度は再帰の深さと、学習される入出力の射影から出ている。配線図の中身を入れ替えても動かない。幼虫コネクトーム自体は次数分布では説明できない構造を持つが、その構造はこの課題では使われていない。 |
| 限界 | 著者のコードが無いため、再実装が論文の手続きと一致しているかは確かめられない。興奮性と抑制性の符号を入れていない。MNISTより難しい課題で同じことが起きるかは測っていない。この二点は同日の「幼虫コネクトームを固定の再帰層に使う分類器と、難しい課題およびデール則」で測り、どちらも結論を変えなかった。 |
背景
2026年9月3日、Janelia研究所とGoogleの共同チームが、ショウジョウバエのオスの中枢神経系の完全なコネクトーム MaleCNS の正式版を公開した。166,700個のニューロンと1億2,500万のシナプスからなる。これを機に、生きものの配線図を計算に使う話題が広く流れた。
配線図を計算機で使う試みは、それより前からある。Yu らは2025年、Winding らが2023年に公開したショウジョウバエ幼虫の脳のコネクトームを、固定した再帰層としてそのまま分類器に組み込む構成を提案し、Biological Processing Unit と名づけた。学習するのは入口と出口の線形写像だけで、真ん中の2,952ニューロンの結合は配線図の値で固定する。論文はMNISTでおよそ98%の精度を報告し、同じ大きさの多層パーセプトロンを上回ると述べている。
この種の主張には、比べる相手を選ぶ問題が付きまとう。ある配線図が優れているように見えるとき、その優位は配線の細部から来ているのか、それとも各ニューロンが何本の枝を持つかという次数の分布から来ているのかを分けなければならない。Maslov と Sneppen は、枝の端点を入れ替えて次数を保ったまま配線を組み替える対照を提案した。Fosdick らはこの種の対照の作り方を整理している。ノード数と枝数だけを合わせた乱数グラフを対照にすると、次数分布に由来する見かけの構造まで配線の手柄に数えてしまう。
Dhiman は2026年、ショウジョウバエの視覚系のコネクトームで制約した神経回路網について、次数を保った対照と比べると優位が消えることを報告した。本調査は同じ問いを、Yu らの構成と幼虫コネクトームに当てたものである。
対象と方法
データ
Winding らの幼虫コネクトームを、配布リポジトリの Supplementary Data S1 から取得した。配布物には、軸索と樹状突起の組み合わせごとに分けた五つの結合行列が含まれる。自己結合を除いた枝数は次の通りである。
| 行列 | 枝数 |
|---|---|
| すべて | 110,140 |
| 軸索から軸索 | 40,173 |
| 軸索から樹状突起 | 63,518 |
| 樹状突起から軸索 | 3,717 |
| 樹状突起から樹状突起 | 8,948 |
Yu らの論文は「約3,000ニューロンと65,000の重み」としか書いていない。この数に着地するのは軸索から樹状突起への行列だけである。ニューロン数2,952、感覚ニューロン430、出力ニューロン218(下行ニューロン DN-SEZ が164、環状神経節への投射 RGN が54)は、論文の数字と一致する。本調査ではこの行列を使った。
再実装
Yu らの論文には公開コードが無い。arXiv本文、会議録版、著者の研究室のリポジトリを当たったが見つからなかった。そのため論文の記述から再実装した。構成は次の通りである。
- 画像784次元を、学習する線形写像で430個の感覚ニューロンに入れる。
- 2,952ニューロンの状態を、固定した結合行列で T 段だけ更新する。活性化は tanh。
- 各段の218個の出力ニューロンの値を並べ、学習する線形写像で10クラスに落とす。
学習するパラメータは355,000個で、結合行列は学習しない。論文に書かれていないのは、再帰の段数 T、結合行列の正規化の仕方、その利得、エポック数である。これらは黙って決めずに走査した。段数を1、2、4、8、利得を0.5、0.9、1.2、正規化を行ごとの和を揃える方式と最大特異値で割る方式の二通りとし、4エポックで全組み合わせを試した。
この順番には理由がある。自分の推量で決めた設定のまま対照と比べると、試しているのは論文の主張ではなく自分の推量になる。先に論文の精度を再現できる設定を見つけ、それを固定してから対照に置き換える必要がある。
対照
再帰層だけを次の三つに置き換えた。入口と出口の線形写像、その初期値、学習の手続きはすべて同じである。
- 枝数だけを合わせた乱数。ノード数と枝数を保ち、端点を無作為に選び直す。多くの論文が使う弱い対照である。
- 次数を保った組み替え。二本の枝の終点を入れ替える操作を枝1本あたり20回繰り返し、各ニューロンの入次数と出次数を厳密に保つ。重みは枝と一緒に運ぶ。組み替え後に元の枝と一致するのは2.3%で、独立に3本作った。
- 密な乱数の固定行列。Yu らの論文が対照にした構成で、学習する入口と出口の間に、幅430の固定した正規乱数行列を同じ段数になるまで繰り返し掛ける。学習するパラメータは371,960個である。
対照の生成器には、次数の一致、自己ループ、多重辺、組み替え率を毎回検算する手続きを付けた。合成グラフで確かめたところ、クラスタ係数の見かけの差0.0420のうち0.0395が次数分布だけで説明できた。弱い対照だけを見ると、構造を17倍に読むことになる。
本実験はMNIST、10エポック、バッチ256、Adam、学習率0.001で、各条件3つの種で走らせた。計算は RTX 3060 で739秒だった。
結果
幼虫コネクトームの構造
先に、この配線図が次数分布だけで説明できるかを見た。すべての結合行列(110,140本)について、弱い対照と、次数を保った対照5本の平均と比べた。
| 統計量 | 実データ | 枝数だけの乱数 | 次数を保った組み替え |
|---|---|---|---|
| 相互結合率 | 0.2569 | 0.0123 | 0.0248 |
| クラスタ係数 | 0.2350 | 0.0250 | 0.0537 |
| 平均経路長 | 2.7466 | 2.1259 | 2.2590 |
| 次数相関 | 0.2365 | -0.0038 | -0.0128 |
次数を保った対照の標準偏差は0.0001から0.0013で、実データはそのどれからも百倍以上離れている。幼虫コネクトームには、次数分布では説明できない構造がある。Dhiman が視覚系で見た状況とは違い、この配線図を学習課題に当てる実験は、結果が先に決まっていない。
論文の設定の再現
| 段数 T | 利得 | 正規化 | 精度 |
|---|---|---|---|
| 1 | 任意 | 任意 | 0.1135 |
| 4 | 0.9 | 行の和 | 0.9622 |
| 8 | 0.9 | 行の和 | 0.9724 |
| 8 | 1.2 | 行の和 | 0.9722 |
再帰を1段にすると、10クラスの当てずっぽうと同じ0.1135まで落ちる。段数を増やすほど上がり、8段、利得0.9、行の和で揃える正規化のとき0.9724で、論文の約98%まで0.76ポイントだった。以下ではこの設定を固定した。
対照との比較
| 再帰層 | 平均精度 | 標準偏差 | 本数 |
|---|---|---|---|
| 実際の配線 | 0.9742 | 0.0014 | 3 |
| 枝数だけを合わせた乱数 | 0.9765 | 0.0011 | 3 |
| 次数を保った組み替え | 0.9722 | 0.0007 | 9 |
| 密な乱数の固定行列 | 0.9741 | 0.0016 | 3 |
実際の配線と次数を保った組み替えの差は+0.0021、枝数だけを合わせた乱数との差は-0.0022、密な乱数行列との差は+0.0001である。どの差も、種を変えたときのばらつきと同じ大きさにある。
考察
再帰層を、次数を保って組み替えても、次数を壊して組み替えても、配線図を捨てて乱数の密行列に置き換えても、精度は動かなかった。97%という数字は、再帰の深さと、学習される入口と出口の写像から出ている。配線図の中身は、この課題では使われていない。
Yu らの「同じ大きさの多層パーセプトロンを上回る」という主張は、この再実装では再現しなかった。実際の配線と、論文が対照にしたのと同じ構成の乱数行列の差は0.0001である。
幼虫コネクトームに構造が無いわけではない。相互結合率もクラスタ係数も、次数を保った対照から百倍以上の標準偏差だけ離れている。構造はあるが、MNISTの分類はそれを必要としていない。この課題は、幅430の固定した乱数行列を8段通しただけで97%に届く。配線の細部が効く余地が、そもそも残っていない可能性がある。
この結果は Dhiman の報告と同じ方向を指す。対象は視覚系と幼虫の全脳で違い、構成も違うが、どちらも、次数を保った対照を置いたときに配線の優位が消えている。配線図を使う主張には、次数を保った対照が要る。枝数だけを合わせた乱数を対照にすると、本調査の場合はむしろ乱数のほうが高く出た。
限界
- 再実装の妥当性。著者のコードが無いため、本調査の構成が論文の手続きと一致しているかは確かめられない。論文に書かれていない設定は走査で選んだものであり、論文の設定そのものではない。
- 符号。配布された結合行列にはシナプスの数だけがあり、興奮性か抑制性かの区別が無い。本調査はすべて正の重みとして扱った。神経伝達物質の予測は別に公開されており、符号を入れた版は測っていない。
- 課題の難しさ。MNISTは乱数の固定行列でも97%に届く。配線の細部が効くとすれば、それはこの課題より難しいところで起きる。何を課題にすれば差が出るかは分からない。
- 他の行列。本調査は軸索から樹状突起への行列だけを使った。五つの行列を合わせたときの挙動は測っていない。
参考文献
- S. Yu, Z. Qin, T. Liu, B. Xu, R. J. Vogelstein, J. Brown, and J. T. Vogelstein (2025). Biological Processing Units: Leveraging an Insect Connectome to Pioneer Biofidelic Neural Architectures. AGI 2025. arXiv:2507.10951
- M. Winding et al. (2023). The connectome of an insect brain. Science 379(6636), eadd9330.
- N. Dhiman (2026). Topological Sensitivity in Connectome-Constrained Neural Networks. arXiv:2604.04033
- S. Maslov and K. Sneppen (2002). Specificity and stability in topology of protein networks. Science 296(5569), 910-913.
- B. K. Fosdick, D. B. Larremore, J. Nishimura, and J. Ugander (2018). Configuring Random Graph Models with Fixed Degree Sequences. SIAM Review 60(2), 315-355.
- Y. LeCun, L. Bottou, Y. Bengio, and P. Haffner (1998). Gradient-based learning applied to document recognition. Proceedings of the IEEE 86(11), 2278-2324.
- S. Berg, I. R. Beckett, M. Costa, P. Schlegel, M. Januszewski, E. C. Marin, A. Nern, S. Preibisch, W. Qiu, S. Takemura, et al. (2025). Sexual dimorphism in the complete connectome of the Drosophila male central nervous system. bioRxiv 2025.10.09.680999.
Winding ら2023、Maslov と Sneppen 2002、Fosdick ら2018、LeCun ら1998の4件は、著者名・掲載誌・巻号・頁を Crossref の登録記録と照合した。arXiv と bioRxiv の3件は照合していない。