鶴田研究所 Tsuruta Laboratory

調査ノート 2026-09-13

オスとメスのショウジョウバエのコネクトーム比較に使われた補正係数0.581の再計算

公開された比較表に同じ主成分分析を当てると傾きは0.841で、閾値を500倍動かしても動かない

要旨

Berg らが2025年に公開したショウジョウバエのオスの中枢神経系コネクトーム MaleCNS は、メスのデータ FlyWire と接続の強さを比べるために、オス側のシナプス数に0.581を掛けている。論文はこの値を主成分分析の傾きと定義している。公開された比較表(3,761,792枝)に同じ手続きを当てると傾きは0.8413で、閾値や変換を変えても0.8234から0.9576の間にとどまった。どちらの係数を使うかで、枝の25.5%がオス優位とメス優位の間で向きを変える。

方法著者らが公開しているオスとメスの枝ごとの比較表を読み、論文の計算例(オス18.0を0.581倍して10.45)で表が論文の元データであることを確かめた。中心化した二次元の点群に対する第一主成分の傾きを計算し、閾値を9段階、変換を4通り動かした。係数の違いが枝の判定に与える影響を数えた。
結果傾きは全枝で0.8413。閾値をオス2以上からオス500以上まで動かしても0.8413から0.8521。平方根で0.8234、対数で0.8608、入力で正規化して0.9576。公表値0.581で補正するとオスの総シナプス数はメスの0.768倍にとどまり、オスが強い枝は32.3%になる。
知見係数の定義は論文本文で確認できたが、値は再現できない。両側に閾値をかけると接続の強さに応じて比が1.34から0.69へ単調に下がって見えるが、これは選抜が作る見かけで、片側だけの閾値では平らになり、比が一定でポアソン誤差だけ乗る人工データが同じ形を再現した。
限界論文は左右の半球に割った重みで、神経索の接続を除き、特定のスーパークラスに限って当てている。その表は公開されていない。見えない前処理が差を説明する可能性は残る。著者への問い合わせは行っていない。
補正係数を、打ち切りの閾値を変えながら計算し直した図閾値を500倍まで動かしても傾きは0.841から0.852までしか動かない。公表された0.581はその帯から離れている。0.50.60.70.80.9025112050100200500オス側の打ち切り(シナプス数の下限)主成分の傾き公表値 0.581下限0 辺3,761,792本 傾き0.8413下限2 辺1,023,495本 傾き0.8425下限5 辺625,060本 傾き0.8428下限11 辺388,946本 傾き0.8431下限20 辺255,175本 傾き0.8435下限50 辺119,793本 傾き0.8442下限100 辺60,719本 傾き0.8452下限200 辺26,312本 傾き0.8468下限500 辺6,600本 傾き0.8521計算し直した値0.8413〜0.8521
打ち切りの閾値を変えながら計算し直した主成分の傾き。閾値を500倍動かしても0.8413から0.8521までしか動かない。破線は公表値0.581。

背景

ショウジョウバエの成虫の脳の完全なコネクトームは、2024年に FlyWire が公開した。Dorkenwald らが配線図を、Schlegel らが細胞の型の注釈を報告している。この個体はメスである。2025年10月、Berg らはオスの中枢神経系の完全なコネクトーム MaleCNS を論文とともに公開し、2026年9月3日にデータの正式版が出た。166,700個のニューロンと1億2,500万のシナプスを持つ。

オスとメスを比べるには、二つのデータセットの間にある系統的な違いを消さなければならない。撮像の条件、シナプスの検出器、再構成の手続きが違えば、同じ接続でも数えられるシナプスの数が違う。Berg らはこのために、オス側のシナプス数に一つの係数0.581を掛けている。論文の記述は次の通りである。

To align connection weights between the male and female dataset, we fitted a PCA to the data and scaled the male weights by its slope (0.581).

この係数は、二つの性の間で接続が強いか弱いかを判定するすべての枝に掛かる。値が違えば判定が変わる。著者らは、枝ごとの比較表を公開している。本調査はその表から同じ係数を計算し直したものである。

対象と方法

データ

著者らの公開リポジトリから、オスとメスの枝ごとの比較表を取得した。3,761,792行あり、各行が細胞型の組の接続一つに当たる。列は、始点と終点の細胞型、オス側のシナプス数、メス側のシナプス数、検定統計量、補正済みの p 値、判定である。判定の内訳は、雑音が3,034,980、同型が679,283、性差ありが47,529である。

この表が論文の係数を当てた元データであることを、論文の計算例で確かめた。論文は AVLP532 から CL110 への接続を例に挙げ、補正後のオス側を10.45、メス側を20と書いている。表の生の値はオス18.0、メス20.0で、18.0に0.581を掛けると10.458になる。一致する。

傾きの計算

メス側のシナプス数を横軸、オス側を縦軸にとった二次元の点群を中心化し、特異値分解で第一主成分の方向を求め、その横軸あたりの縦軸の変化を傾きとした。論文が「主成分分析の傾き」と呼ぶものは、これ以外に読みようがない。

絞り込みの違いが値を動かすかを見るために、次の条件で計算を繰り返した。

  • 全枝、両側が非零の枝、両側に閾値をかけたもの、オス側だけで絞ったもの。
  • 閾値を、オス2以上とメス2以上から、オス500以上とメス400以上まで9段階。
  • 値を平方根にしたもの、対数にしたもの、終点ごとの入力の合計で正規化したもの。

係数の帰結

係数の役目は二つのデータセットの系統的な大きさの違いを消すことである。消えていれば、オスが強く見える枝とメスが強く見える枝はおよそ半分ずつになるはずである。公表値、この表から計算した値、両性の合計が揃う値、補正なしの四つについて、補正後のオスとメスの総シナプス数の比と、オスが強く見える枝の割合を数えた。

結果

傾き

条件枝数傾き
全枝、生の値3,761,7920.8413
両側が非零1,553,6020.8423
オス11以上かつメス9以上374,0240.8431
オス側だけで絞る559,4720.8427
平方根3,761,7920.8234
対数3,761,7920.8608
入力で正規化3,619,4550.9576

閾値の走査では、オス2以上とメス2以上で0.8425、オス500以上とメス400以上で0.8521だった。閾値を500倍動かしても、傾きは0.8413から0.8521の間にある。どの条件でも0.581には近づかない。

係数の帰結

係数補正後のオス/メスオスが強く見える枝
公表値 0.5810.76832.3%
この表の主成分分析 0.8431.11457.7%
合計を揃える 0.7571.00050.1%
補正なし 1.01.32167.8%

公表値で補正すると、オスの総シナプス数はメスの0.768倍にとどまる。オス11以上かつメス8以上の388,946本のうち、どちらの係数を使うかで向きが変わる枝は98,990本、25.5%である。そのすべてが、公表値ではメスが強く、この表から計算した値ではオスが強い。

いったん見つけて、自分で否定したもの

係数を計算する前に、比が接続の強さによって変わるかを調べた。論文と同じ閾値を両側にかけ、接続の強さの区間ごとにオスとメスの比をとると、弱い接続で1.3419、強い接続で0.6943と、11区間すべてで単調に下がった。1.93倍の開きがある。一つの係数では足りない、と読める形である。

これは誤りだった。閾値を片側だけにかけると、比は0.6742から0.6930で平らになる。比が真に一定で、ポアソン分布の誤差だけが乗る人工データを作り、同じ両側の閾値をかけると、同じ垂れ下がりが現れた。弱い接続の区間では、両側の閾値を越えた枝だけが残る。オス側がたまたま大きく出た枝が選ばれやすいので、比が高く見える。両軸で同時に選抜したことが作った見かけである。

ただし、実データの垂れ下がりは人工データより急だった。人工データでは弱い区間から強い区間で1.21倍、実データでは1.93倍である。シナプス数は、独立な標本より散らばっている。

考察

係数の定義は論文本文で確認できた。比ではなく主成分分析の傾きである。比で計算すると0.68から0.80になり、0.581と合わない理由はこれで分かった。しかし、公開された表に同じ主成分分析を当てても0.581にはならない。傾きは0.8413で、絞り込みをどう変えても、変換をどう変えても、0.82から0.96の間から出ない。

係数の役目は二つのデータセットの系統的な違いを消すことである。公表値を使うと、補正後もオスの脳はメスより23%小さく見える。この表から計算した値を使えば、オスが11%大きく見える。どちらが正しいかは本調査からは言えないが、公表値が二つのデータセットを重ねていないことは、この表の上では言える。そして、どちらを使うかで判定が変わる枝が4分の1あり、そのすべてが同じ向きに変わる。

いったん見つけた「一つの係数では足りない」という観察を自分で否定した経緯も記しておく。両側に閾値をかけて区間ごとに比をとる手続きは自然に見えるが、選抜がそのまま比を歪める。片側の閾値と人工データの二つで確かめなければ、誤った結論を出していた。

限界

  • 論文の主成分分析は、左右の半球に割った重みに対して、神経索の接続を除き、特定のスーパークラスに限って当てられている。公開された表は枝の合計しか持たず、この絞り込みを再現できない。見えない前処理が0.581と0.841の差を説明する可能性は残る。
  • 著者に問い合わせていない。左右に割った表が手に入れば決着する。
  • 実データの散らばりがポアソン分布より大きい理由は分からない。細胞型の組の中に複数の細胞の組が含まれることによるのかもしれないが、確かめていない。
  • 本調査が言えるのは、公開された点群の傾きが0.841で、どう絞っても変換しても動かず、0.581との差がオスとメスの判定を一方向に押す、ということまでである。

参考文献

  1. S. Berg, I. R. Beckett, M. Costa, P. Schlegel, M. Januszewski, E. C. Marin, A. Nern, S. Preibisch, W. Qiu, S. Takemura, et al. (2025). Sexual dimorphism in the complete connectome of the Drosophila male central nervous system. bioRxiv 2025.10.09.680999.
  2. S. Dorkenwald et al. (2024). Neuronal wiring diagram of an adult brain. Nature 634, 124-138.
  3. P. Schlegel et al. (2024). Whole-brain annotation and multi-connectome cell typing of Drosophila. Nature 634, 139-152.
  4. flyconnectome (2025). 2025malecns: supplemental data for the MaleCNS paper, mcns_fw_edge_comp.feather. GitHub.

Dorkenwald ら2024と Schlegel ら2024の2件は、著者名・掲載誌・巻号・頁を Crossref の登録記録と照合した。bioRxiv の1件と配布物1件は照合していない。

資料